後書き


子連れ狼 〜「プロローグ」ってずっと終わりって意味だと思ってた〜
あの人の独白。本当に始まり〜を意識して描いただけです。


子連れ狼 〜受けた恩は仇で返せ〜
何で銀さんではなく高杉なのか、は追々。
キャラを壊さない様に務めすぎて壊れています。


子連れ狼 〜子供が親を育てる〜
この次くらいで分かりますが、桂は察しが付いてます。
銀さんは若い感じを意識してるつもりです(現代も若いんでしょうが・・・・)。


子連れ狼 〜類は友を呼ぶ〜
お互い何かを失っている。だけど高杉の場合は「死」という名の今生の別れであって、神楽のはそれと違う。
決定的に違うのだけれど、何処か似ている。失って尚、後ろ姿に焦がれる所とか。


子連れ狼 〜十円玉の裏の裏の裏〜
このシリーズでの桂はこういうポジションです。というか、そうであって欲しいという私の願望。
しかし昔は高杉と同じくらい過激派だった桂がこういう構えでいられるかと考えたら疑問です(おい)。
初めからこの話までで、神楽出会い編となります。


子連れ狼 〜この手から滑り落ちるモノ〜
夜兎発覚編+坂本合流編。
神楽は結構神威の件はトラウマなんじゃないかなぁ、という個人的な見解です。
その結果で失ったものが大きすぎたから、今度こそ自分が身体を張って守ろうとしているのではないかと。
坂本さんは合流以前に、桂の手紙から神楽が夜兎である事は確信してます。


子連れ狼 〜後悔先に立たず〜
高杉編。言動が矛盾しすぎている高杉の話。自分でもそれは十分分かってます。
本当は漠然とした「答え」があって、それ以外に「答え」がない事を知っているんです。
だけど、それが「答え」と認めてしまう事は、今までの自分を否定しかねなくなる。
誰も傷つく事も傷つける事も無い「出せない答え」という「答え」は、自己保全の為のものにしかすぎないのだけれど。
結果論として「逃げ道」となるそれが、自分を更に追い詰めるものだと知りながら。
最初の所の高杉の夢で出てきた構図は実際に起こったものではありません。これが高杉、桂、銀時編を一通り目を通した後に紐解けます。
高杉編ではありますが桂編の側面でもあります。また、銀時がほとんど触れられていないのは、桂編を越えないと触れられないからです。

子連れ狼 〜愚者達の理想論〜
桂編+村塾過去編。最初は桂の独白です。色々と描き手が遊んだ回でもあります。
私的に攘夷の精神タフさで順位を付けるなら、坂本>>>桂>銀時>>>高杉の順なのですが、今回は悩める貴公子で。
前回の件で高杉は割と完全では無いにしろ吹っ切れた感を出してます。逆に桂は前回と今回で神楽と共にする事が多くなっていき、気を緩める時が出来始めた事によって初めて喪失感を見出す。今まで突っ走ってきたから気づかなかったものとかを、気を緩めた事でようやく気付いてきた訳です。
自己との対話ってやっぱり必要だよねって思うのです。
桂編は正直失敗だったな、と思ってます。「伝え方」が。結局何が言いたいのか定まってない。
要するに、高杉と同じで「気づいてるけど気づかないフリ」をし続けている桂で、しかし高杉と違うのはとっくの昔にそれに気付いているという点。

子連れ狼 〜冗談と本気は紙一重〜
幻惑狐編。正確には、長くなりすぎた桂編後半+銀時編序盤です。
今回は中間的な話なので、説明的な内容です。「考える」よりも「見せる」といった方が正しいのかも。
普段はどちらかというと「考える」漫画を目指しているので、今回は唯一ただ「見せる」だけの展開ですね。

はぐれ狼 〜人はそれを「運命」と呼ぶ〜
「子連れ狼」の神威サイド。神威が地球に来たのは一度や二度じゃないんだろうな、という妄想からの産物。
神威と神楽は軽く見積もって8〜10くらいは歳が離れているという設定です。


はぐれ狼 〜死の美学と生の冒涜〜
この話での神威は外国人としての立ち位置です。
外国人は何故日本人は自ら命を絶つのが美しいと思うのかが分からない、何故自ら可能性を切り捨てるのか、と考える。
神威はその立ち位置です。どうしてなのか分からない。ただ、「ばかみたいだ」と思った事以外は。